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「プロトタイプ」–「アスペルガー症候群」を抱える管理人「もえぎのわかば」のウェブサイト。

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管理人の略史

・1974年1月27日
北海道に生まれる。
・1992年3月
北海道内の公立高等学校を卒業。
・1996年3月
室蘭工業大学工学部卒業
・1998年3月
室蘭工業大学大学院工学研究科修了
・1998年4月1日
大手製鉄会社の関連会社に入社、兵庫県に転居。
1999年夏期頃から心身の不調を訴えるようになり、心療内科への通院が始まる。この時点では社内における対人関係のもつれが抑うつ状態の遠因となったと自身では考えていた。
アモキサン・ドグマチール・レスタス・メイラックスが主な処方になる。後、トレドミンの発売開始によりアモキサンから置き換えを図る。
・2001年7月
社内配属替えにより北九州市に転居。
一時期市内の心療内科へ通院するも程なく産業医科大学付属病院へ転院。勤務と通院を並行させるが、心身の不調は一進一退が続き、健康相談のために職場を訪れた保健師に精神的な不安定さを訴えたことが社内で問題となる。その後一度休職。
・2004年6月
社命により長期出張を命ぜられ、千葉県内に滞在。
当地の精神科病院より薬の処方を受けるが、不慣れな環境や酷暑が相まって不眠を訴え、結果として多剤多量処方となる。この時点でレボトミン・テトラミド・ドラールが処方の軸に変わるが、レボトミンの副作用やドラールによる薬の翌朝への持ち越しなどで出張先でも日中の眠気や呂律が回らなくなる状況に陥り始める。
・2004年9月
出張先より休養・帰郷を命じられ、実家に戻る。二度目の休職。旭川医科大学付属病院に転院。統合失調症を疑われる。
・2005年4月
復職がかなわないまま退職。同月より実家近所にある郵便局の非常勤職員となる。
・2006年
当時の主治医の転勤に伴い、主治医が変わる。
統合失調症は誤診と判明。トレドミン・レキソタン・ハルシオン・ロヒプノールが主な処方となる。また、並行して自費で臨床心理士の心理カウンセリングを受け始める。
・2007年12月
職業安定所の斡旋により埼玉県内の中小企業への再就職が事実上内定する。
・2008年1月
郵便局を退職、転職に伴い埼玉県に転居する。
・2008年2月1日
内定先の会社に入社。通算二度目の転職となる。東京都足立区内の心療内科に転院する。
・2008年7月
臨床心理士の紹介で自助グループの存在を知る。グループの仲間の紹介で港区内の心療内科に転院するが続かず、程なく台東区内の心療内科に転院する。
・2009年9月
納期がかかった用件などが重なった過労により肺炎を患い、2週間ほど欠勤する。以降、自らの「燃え尽き症候群」を意識し始める。
・2010年3月
心身の不調が再び顕著となり、休職する。
・2010年5月
臨床心理士より現在の処方が多剤多量処方であるとの指摘を受け、東京都渋谷区にある児童精神科・あいの発達クリニックの橋本大彦医師を紹介され、転院。「特定のものへのこだわり」などをはじめとした発育歴の聞き取り調査及び知能検査を受ける。
・2010年6月
社内規定に基づく休職期間満了により退職、失業する。
あいの発達クリニックでの診療が本格的に始まる。橋本医師が延べ十人目の主治医となる。エチゾラムなどのベンゾジアゼピン・チエノジアゼピン類の依存を避けたい主治医の意向により処方が大幅に変更され、処方の過渡期に一時精神不安定となる。
後、セロクエル・デプロメール・リボトリール・マイスリーを主な処方として現在に至る。
・2010年8月
現在の主治医・橋本大彦医師より「アスペルガー症候群」との診断を受ける。同時に、これまでの抑うつ状態は「アスペルガー症候群」に伴う二次障害であるとされる。
・2010年12月
精神障害者手帳取得申請。
・2011年1月
あいの発達クリニックが閉院。主治医・橋本大彦医師が、新しい医療機関の開設準備にあたる。
・2011年2月
精神障害者手帳取得(3級)。
・2011年4月
東京都渋谷区に橋本クリニックが開業し、通院を再開。主治医はそのままでカルテが継承され、現在に至る。


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