写真集(その3) ー国鉄583系・485系・クモハ42形、広島電鉄650形電車ー
半世紀以上、あるいは数十年を生き延びてきた列車や電車に注目してみました。ここでは、「被爆電車」とも呼ばれている広島電鉄650形電車、小野田線の通称「本山支線」で永く活躍した旧型国電クモハ42001、今もなお国鉄時代の塗装をまとっている数少ない485系電車と583系電車を取り上げてみます。
国鉄時代の外観を残す583系電車
世界初の「寝台電車」として昭和42年から43年に誕生。夜は寝台車に、昼は座席車に無駄なく使える電車だったが、寝台車が3段であり、座席車もリクライニングや方向転換ができない構造だった。新幹線の延伸や、新型電車に置き換えられる形で活躍の場を狭めていった。特に国鉄時代の塗装の電車は極めて少なくなっている。2010年10月9日に南越谷駅及び西船橋駅にて撮影。

夜行列車にも使用されることもあり、481系(485系)電車と異なる紺色のラインが引かれている。

(左)配置箇所・型式等の情報。(右)前面のヘッドマーク表示器にはただ「団体」とだけ表示されていた。

(右)側面の行き先表示器には「臨時」とだけ表示されていた。写真右の二つ星は「電車3段式B寝台車」を表す。
やはりこの電車で夜を明かしてテーマパークへと向かうのだろうか。この写真を撮ったのは朝の時間帯。
国鉄時代の外観を残す481系(485系)電車
昭和期には全国各地でエル特急や特急列車として多用されたこの系列の電車も、583系電車と同じく新型電車に置き換えられる形で活躍の場を狭めていった。特に国鉄時代の塗装の電車は極めて少なくなっている。2010年10月9日に西船橋駅にて撮影。

団体列車の模様。この電車で夜を明かしてテーマパークなどに行くのだろうか。

(左)前面のヘッドマーク表示器にはただ「団体」とだけ表示されていた。(右)側面の行き先表示器も同様であった。

(左)同型車を使って新宿と新潟を結んでいた夜行快速「ムーンライトえちご」。かつては毎日運転されていたが、現在は長期休暇などの繁忙期に運転期間を絞っている。(右)前側の半室がグリーン席だったが、締め切りのようで乗客はいなかった。
旧型国電・クモハ42001
昭和8年に製造。JR小野田線・雀田駅から長門本山駅までの通称・本山支線で2003年3月まで現役を続けた。

基本的に朝と夕方しか運転しないため、その間はパンタグラフを下ろして待機していた。

(左)行き先表示板。朝、宇部新川駅から出庫して雀田駅と長門本山駅の間を往復、長門本山駅発の最終電車はまた宇部新川駅に戻るようになっていた。(右)昭和8年、日本車輌製。2003年3月の引退まで国電時代を含めて約70年、現役であり続けた。

(左)クロスシートが並ぶ電車の車内。どこか時代を感じさせる。(右)本当の「網棚」。焼酎のテレビCMにも使われた。

(左)扇風機。ロゴが「JR西日本」となっていたのが残念。(右)鉄道友の会から「エバーグリーン賞」の顕彰を受けた。

(左)運転席前に「想出に一言」とノートが吊るされていた。(右)長門本山駅。無人駅で、この後すぐに雀田駅行き電車として折り返す。
広島電鉄650形電車
昭和17年に製造されて以来、広島市への原子爆弾投下を受けるも被爆直後の市内を走る姿に勇気づけられた市民は多い。製造から約70年近くたった今もなお、現役である。

この項の撮影日時と場所は、2010年4月、広島電鉄・広島港(宇品)駅及び、西広島(己斐)駅。

入口付近。集電装置はビューゲル。広島地区の交通機関社局のICカード「PASPY」を利用できる。

行き先表示は、車端部上の幕式表示器の他、入口横にも行き先を書いたプレートを差している。

昔ながらの木造の車内にICカードリーダー。車内には652号についての説明が掲示されている(右)。

(左)昭和17年、木南(きなみ)車輌製。同社は廃業して既にない。(右)西広島から再び広島港へ折り返す。この区間を走る「3号線」などのラッシュ時に見かけることがあるという。
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